ボブ・ディランの革新性に憧れ、ロックの魂を受け継いだラッパー、ポスト・マローン
エルヴィス・プレスリーの登場以降、あらゆる時代でロック・スターは若者たちを夢中にさせてきた。 ビートルズ、ジム・モリソン、セックス・ピストルズ、ニルヴァーナ、オアシス、グリーン・デイ、アークティック・モンキーズ。 彼らの荒々しく、反骨精神が滲み出た歌と演奏に、ティーンエイジャーたちは熱狂した。 そして今の若者たちの新たなスターになっているのが22歳のラッパー、ポスト・マローンだ。...
View ArticleJ-POPという言葉と共にMr.Childrenは成長していった➀ 〜「CROSS ROAD」で見せた日本の新しいポップスの可能性〜
J-POPという言葉が生まれたのは1988年の末だと言われている。 当時開局したばかりのJ-WAVEが洋楽の影響を受けた日本のポップスや、洋楽と肩を並べられる楽曲を総称する際に用いられたのが最初だった。 最初は局内のみで使われていただけだったが1989年に「J-POP・クラシックス」という番組がオンエアされて以降、だんだんと一般の人々にもJ-POPという言葉が認知されていく。...
View Articleジョン・レノンやマイケル・ジャクソンのような「救いの音楽」を作り出した ラッパー 〜ロジック「1-800-273-8255」〜
かつてジョン・レノンは「Happy Xmas(War Is Over)」で「戦争は終わる 君が望めば」と歌い、マイケル・ジャクソンは「We Are The World」で世界の子供達の幸福を願った。 そのメッセージはメロディとともに、発表されてから何十年経った現代にも届いている。 音楽には言葉にすれば当たり前のことと思えてしまうことでも、深く心に浸透させられるような力がある。...
View Articleサザンオールスターズのように、茅ヶ崎から新たな日本語のポップスを生み出したSuchmos
日本のポップスは、海外から入ってきたポップスを日本らしく解釈することによって進化してきた。 その中でも「洋楽的なメロディの中で日本語をどう響かせるか」ということを日本のシンガーたちは考え続けていた。 そして、日本語を英語のように崩して歌ったサザンオールスターズの桑田佳祐をはじめ、様々なシンガーたちが新たな「日本語の響かせかた」を追求してきた。 甲本ヒロトや桜井和寿、椎名林檎、宇多田ヒカル。...
View Article時を超えてコラボレートした2人のポップスター 〜マイケル・ジャクソンとドレイクの「Don’t Matter To Me」〜
ポップミュージックの歴史において新たなスタンダードが生まれる時、そこには革新的なアイデアを生み出すミュージシャンの存在がある。 ロックンロールを世界に広めた「キング・オブ・ロックンロール」エルヴィス・プレスリー。 R&Bやディスコ、ロックやヒップホップを区別なく取り入れ、次々とヒット曲を生み出した「キング・オブ・ポップ」マイケル・ジャクソン。...
View Articleシカゴからカーティス・メイフィールドのように希望の音楽を鳴らす男~チャンス・ザ・ラッパー
2017年のグラミー新人賞の発表は、世界の音楽シーンにちょっとした衝撃を与えた。 受賞したのは当時25歳、ヒップホップ・アーティストのチャンス・ザ・ラッパーだった。 ラップやヒップホップをメインに活動するアーティストが、グラミーの主要部門に選ばれること自体がそもそも珍しいことであった。...
View Articleエルヴィスの「Can’t Help Falling In Love」にロックの魂を吹き込んだHi-Standard
「キング・オブ・ロックンロール」として知られるエルヴィス・プレスリーが1961年にリリースした「Can’t Help Falling In Love」(邦題『好きにならずにはいられない』)。 18世紀のフランスで作られた「愛の喜び」を基にした美しいメロディは、エルヴィスの深みがる歌声によってバラードのスタンダードナンバーとなり、今でも歌い継がれている。...
View Article「追憶のハイウェイ61」を聴いて「歌うたい」として目覚めた斉藤和義 〜「歌うたいのバラッド〜
1993年(平成5年)にシンガーソングライターとしてデビューした斉藤和義は、元々ギタリストになりたかったという。 彼が中学と高校時代を過ごした70年代末から80年代にかけて、日本ではいわゆる「ジャパメタ・ブーム」が起こっていた。 レイジーやラウドネスのギタリストとして活躍した高崎晃に憧れた斉藤は、ギターを手に取って弾きまくり、将来はギタリストになることを夢見ていた。...
View Article新人アーティストと間違えられた、ポール・マッカートニー 〜衰えぬ音楽の探究心が生んだカニエ・ウエストとのコラボレーション〜
ビートルズとしてデビューして以降、50年以上ポップ・ミュージックの世界で活躍し続けているポール・マッカートニー。 時代に応じて新しい音楽を追求してきた彼は、2015年に革新的なコラボレーションによって世間を驚かせた。 それは、ラッパーであるカニエ・ウエストとの共作である。...
View Article「俺のスタジオに来て、机の上でラップをしていたんだ」〜大胆さと革新的な発想でチャンスを掴みとったカニエ・ウエスト〜
ヒップホップとR&Bアーティストが、全盛の音楽シーンでは、かつてロックスターの一挙手一投足に多くの音楽ファンが注目したように、ラッパーやR&Bシンガーたちの言動が大きなニュースとなる。 その中でも特に大きな話題を呼ぶのが、ラッパーのカニエ・ウエストだ。...
View Articleグリーン・デイにステージに上げられたことから始まったバンド、THE 1975
2010年代、ソロ・アーティストやラッパーが全盛の音楽シーンの中で、世界的な人気を得た数少ないバンドのひとつ、The 1975(ザ・ナインティーンセブンティーンファイヴ)。 現代的なシンセサイザーや打ち込みのビートと、4人のメンバーによって生み出される生演奏が融合したグルーヴィーなサウンドが彼らの魅力だ。...
View ArticleThe XX 〜ビートルズの時代から続く「バンド」だからこそ生まれる音楽〜
1962年にビートルズがデビューして以降、若者たちが集まり共に音楽を作り出す「バンド」という形態は、世界的なスタンダードになった。 それまでは一人のカリスマ的なシンガーが歌い、後ろでバックバンドが演奏するというスタイルが一般的であった。 しかしビートルズは四人のメンバー全員が歌って演奏するだけでなく、サウンドメイクや楽曲制作にも関わるというスタイルで、数多くのヒット曲を生み出した。...
View Article踊れるロックンロールでロックの原点を表現するバンド、フランツ・フェルディナンド
「ロックンロール」という言葉の名付け親は、ムーンライト・グラハムというラジオ曲のDJだとも言われているる。 彼はレコードショップで白人の若者がチャック・ベリーを聴いて踊っている光景を目の当たりにし、自身のラジオで彼らの音楽を流し始めたという。 ロックンロールはギターリフやシャウトによって人々の心を震わせ、そして踊らせることによって人々の間で広まっていった。...
View ArticleJ-POPという言葉と共に成長していったMr.Children②
J-POPという言葉と共に成長していったMr.Children➀はこちら 1992年にメジャーデビューをしたMr.Childrenのフロントマン、桜井和寿が志向していたのは「多くの人に届くポップミュージック」だった。 僕たちは楽しむ人の先頭に立って、その流れを変えていきたい。 (rockin’on japan 1993年1月号より)...
View ArticleB‘zから「人懐っこさ」、チャンス・ザ・ラッパーからは「身軽さ」を感じ取ったMom 〜バンドマンでもラッパーでもない、21歳から感じる新しい予感〜
20世紀まではレコーディング・スタジオで録音されたものが、音楽として世に出て商品として流通していた。 しかし時代は移り変わり、演奏から録音、そして流通までパソコンやスマートフォン1台で出来るようになった。 いわば、頭の中に音楽があれば、誰でも発信できる時代がやってきたのである。 今では世界中のアーティストたちが当たり前のように、パソコンで曲を作り、それをネット上にアップロードしている。...
View Article吉田拓郎の歌と音楽から受けた衝撃で始まったあいみょんのソング・ライティング
良質のフォークソングや歌謡曲の歌詞には、聴く者に風景や物語を想起させる力がある。 それはまるで歌詞とメロディによって、別世界へと誘われるような体験となって、一本の映画を見た後のような心地よさを聴く者に与える。 そんな60年代、70年代の歌にも通じる歌詞で注目されているのが、女性シンガーソングライターのあいみょんだ。 彼女のルーツは、幼少期に出会ったシンガーたちにある。...
View Articleサザンオールスターズのように茅ヶ崎から新たな日本語のポップスを生み出したSuchmos
日本のポップスは海外から入ってきた最新の音楽を、日本らしく解釈して表現することによって進化してきた。 その中でも「洋楽的なメロディの中で日本語をどう響かせるか」ということを、日本のシンガーたちはいつも考え続けていた。 そして日本語を英語のように崩して歌ったサザンオールスターズの桑田佳祐をはじめ、様々なシンガーたちが新たな「日本語の響かせかた」を追求してきた。...
View Article松任谷由実とも通じる米津玄師の「Lemon」〜個人的な経験とニューミュージックのリスペクトから生まれた新たなスタンダード〜
2018年において最も多くの人に聴かれた楽曲は、米津玄師の「Lemon」ではないだろうか。 シングル売り上げ40万枚、配信では170万ダウンロード、YouTubeの再生回数は2億回を突破。さらには年間のカラオケランキングでも1位を獲得した。 セールス面もさることながら、テレビやラジオ、そして街でも、「Lemon」は流れて続けていた。 これほどいたる所で耳にする音楽は、近年では珍しいように感じる。...
View Articleアーケイド・ファイア~デヴィット・ボウイが共鳴してコラボレートしたバンド、
2016年の1月10日、デヴィット・ボウイが亡くなったというニュースが駆け巡り、多くの音楽ファンやアーティストたちが哀悼の意を示した。 その後、世界中のファンやアーティストが彼の曲を歌い演奏し、彼の功績をたたえるイベントが開催された。 その中で唯一ボウイの公式サイトが紹介したイベントがある。...
View Article桜井和寿に「岡村靖幸Part2になりたい」と思わせたアルバム『家庭教師』 〜J-POPミュージシャンたちに強い影響を与えた岡村靖幸〜
80年代中盤にデビューしたシンガーソングライター、岡村靖幸。 その圧倒的な個性と存在感は、吉田美和、スガシカオ、YUKI、星野源をはじめとした多くのミュージシャンたちからリスペクトされている。 Mr.Childrenの桜井和寿も、その一人だ。 彼はデビュー前に岡村のアルバム『家庭教師』から大きな衝撃を受けたと語る。...
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